福先生のつぶやき①2020/08/04

大学生のオンライン授業?

聞くところによれば、大方の大学はロックダウン中で、前期授業はオンライン!後期についてもすでにオンラインに決めた学校があるらしい。大学側とすれば、クラスター発生を恐れての対応であることは容易に想像できるが、やや短絡的で無責任な対応だと思う。
大学教育がいかなるものかは、ここで論じることはしないが少なくとも知識を得るだけでないことは明らかだ。私の経験では、大学のキャンパスに存在しているだけでも人間的な成長は著しい。そうした、幅広い人間力の育成こそ、大学の大きな目的でもある。オンラインで済むような大学教育ならば、大学の存在価値はないだろう。
勿論、教室も広大なキャンパスも必要ない。スタジオだけで済むような大学に何の魅力があるのだろうか。
コロナに毅然と対峙し、様々な工夫をこらし、最善をつくして正規の授業を早急に開始すべきである。

福先生の呟き②2020/08/07

才能の伸ばし方①『才能とはなんぞや』

『才能とは、主体的に努力できる能力』と私は定義します。従って、一人の子にはたくさんの才能があります。『子どもは才能の宝庫』でもあるわけです。

学級担任として、あるいは一人の親として、子どもを1年間、じっくり観察すると、『主体的に努力していること』はたくさんあります。例えば、サッカーボールを子どもに与えると、投げることに専念する子もいれば、蹴ることに夢中になる子もいる。また、関心を示さない子もいる。また、パズルやゲームに徹夜で取り組む子。また、歌が得意な子、楽器が好きな子、読書に夢中な子、プールが大好きな子、逃げ足が速い子、等々数えたらきりがありません。実は子ども達は、そうした数々の才能を常に発揮して生活しています。

では、なぜ、大人はそのことに気付かないのでしょうか。答えは明確です。『子どもに大人の都合で主体的でない努力を押し付けている』からです。隣の子がピアノを習えば我が子にも!との横並び主義も、多くの時間と才能の芽を摘んでしまっているのです。

まずは、子どもにできるだけ多くの自由な時間を与えましょう。また、自由に飛び回れる空間を与えましょう。少なくとも小学生のうちは、子ども心を解放してください。間違いなく、我が子のたくさんの才能に気付くことでしょう。

次は『才能と夢』『才能と幸福』『才能と人生の目標』について述べていきます

親に先立つ子の不孝』・・・自殺しないために

このところ、著名人の自殺が相次いでいる。これは、教育的にも由々しき事態である。

こうした死を決して美化してはならない。なぜなら、どんな事情があるにしろ、自殺は許されるべき行為ではないからだ。

私は、小学4年生の時、同級生が川でおぼれ亡くなった。お葬式での家族の嘆き悲しむ姿を見て、子ども心にも不幸の現実を味わった記憶がある。家に帰って母親から「親に先立つ子の不孝」という諺の意味を諭されたことを鮮明に覚えている。そして二年後の六年生の時、私の身にも、その不幸が現実となった。姉が19歳で突然、亡くなり、母が精神的に病んでしまったのだ。

たとえ、病死であったり、事故死であったり、やむを得ない死であっても、親は勿論、家族にとっては耐え難い不幸だ。『親に先立つ子の不孝』とは、不幸の最たるもので絶対に避けなければならない。

私は、教師になって、このことだけは、教え子に言い続けてきた。「絶対に親より先に死ぬんじゃないよ!なぜなら、これ以上の不孝は世の中にないんだから!」

しかし、何の因果か、教師になって教え子を二人、列車事故と病気で失った。棺にすがりつくお母さんの姿を目の当たりにし、真剣に教師をやめようと思い悩んだ時期もある。

長い人生には、誰だって死にたくなるほど辛いことに直面する。そこで踏ん張り“なにくそ”の頑張りで乗り越えた先にこそ、大きな喜びが待っているものだ。
たとえ死神に召されても徹底的に抵抗し、生きる希望を失うな!

三つ子の魂百まで

この格言は皆さんもよく耳にすると思いますが、子どもの夢や才能、子育ての極意を語る上で欠かすことのできない極めて重要な言葉です。

夢や才能との関りは後程述べることにして、今回は子育ての極意『しつけ』との関りについてお話しします。

基本的な生活習慣、すなわち、社会的な動物である人間が社会の構成員として生きていくための最低限のきまり『躾』と定義しましよう。このしつけはよい子を育てる最も基本をなすものであり、しつけ無くしてよい子は育ちません。

このしつけは、是非とも三歳から五歳までに完了してください。ここで、三つ子の魂百まで!の考え方が重要になってきます。人間に限らず哺乳動物はおよその生活習慣、生きる基本は親のしぐさ、すなわち親の背中をみて身に着けると同時に様々な過ちに気付き、修正されて正しい習慣を身に着けます。それは理屈ではなく、自然と体に浸み込むものです。それは三歳から五歳が限界となるでしょう。